春燈
こんにちは(^^)
あの2日後だったかなぁ。
ちょうど今日に当たる日に東京に居ました。
東北の友人に連絡が取れなくて
仕事も手につかなくて
『こんな風に
いつもの毎日送ってていいのかな。』
ってものすごくモヤモヤした
気持ちで仕事していて
社長が
『稼働できるところが稼働して
物流を止めない事も大事や。』
と言ってくれはったけど
それでも納得が行かなくて
休みの日に復興支援に行った。
正直思ってたより自分ははるかに
非力で
自分にも食料や水はいるわけだし
排泄もあるわけだし
“自分が思う何か力になりたい” と
“相手が求める力になる” は
時に大きく異なっていて
社交辞令もお世辞も交わしていられない
環境下ではそれが露骨に感じられた。
今の一般的社会(世間)は
「〇〇するのが 正しい」
「〇〇するのが 正解」
「共感・多数意見=正解」
と判断することが多くて
そこから それているものに対して
批判や文句がわきあがるけれど
何をするのが「正解」なのかなんて
決められないと思う。
あえて
何をするのがいいのかという答えを
述べるとしたら
自分に無理なくできることをやる
普段 通り過ごす
(▶︎あえて、何もしない・触れない)
ことも大切なんじゃないかと思う。
求めることって人によって違うし
支援=助けること
助けること
=何か形をあげる・新しい行動を起こす
が正解ではないみたい。
ポーズだけなら
無くていいんじゃないかな?
向こうでおばあちゃんに
『貴方が泣いたり悲しんでいると
私も悲しいから笑って(^^)』
って言われた時びっくりした。
それは不謹慎だと。
こんなにも心痛めてはる方々がいるのに
楽しむなんていけないことって思っている
自分がいて
これは
“同情”
なんやなぁと
すごく自分が嫌になった(-_-;)
でもそれもきっと
僕が笑ってたとして
ある人から見たら不謹慎だし
ある人から見たら活力かもだし
誰しもの力になるというのは
すごくすごく難しい…💫
難しいことだけど、
いつだって
出逢ってよかったな
と思って頂けるよう
今後も努めて行きたいと思う。
最後に
お亡くなりになられた方々の
ご冥福をお祈り申し上げますとともに、
被災された方々に
少しでも笑顔の日々が増えていることを
心より願っております。
笑顔、
笑顔。